
スイス「ユング研究所」訪問記・心理学レクチャー体験記

五味佐和子

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「コンプレックス」という言葉を導入した心理学者ユング
「背が低いのがコンプレックスで」「字が上手じゃないのが密かなコンプレックスです」と、皆さんも「コンプレックス」という言葉を口にされたことがあるのではないかと思います。
この日常的に耳にする「コンプレックス」という言葉、どこから来たものかご存じでしょうか。
「コンプレックス」という言葉と使い方は、後ほど説明するように、本来の意味からすると誤用なのですが、もともとは精神科医で心理学者の「カール・グスタフ・ユング(C.G. Jung)」が心理学に導入したものです。
また、日常的に使われる「内向的」「外向的」といった言葉も、ユングの研究によるものです。
こんな風に、「ユング心理学」は、私たちの生活に深く浸透しています。そしてその研究は、私たちが自分自身を理解し、人生を生きて行くうえで、とても役に立つものが多いのです。
また日本ではユングについて知っている人は比較的多いのではないではないかと思いますが、それは日本にユング心理学を紹介した故河合隼雄(かわいはやお)氏の恩恵に与るところが大です。
その河合隼雄先生が日本人で初めてトレーニングを受け、分析家の資格を取得したのがスイスのユング研究所です。
今回私は、そのスイスのユング研究所を訪ね、レクチャーを受ける機会がありましたので、その様子をご報告したいと思います。
また、これまでユングという心理学者にあまり縁のなかった方のために、ユング心理学のキーとなる考えや、自分を知るためのヒントのようなものも、ご紹介します。
Who is C.G Jung? ユングってどんな人?

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/カール・グスタフ・ユング
カール・グスタフ・ユングは、精神科医・心理学者であるフロイトと共に『深層心理学』という心理学の新しい領域を発展させ、フロイトと決別したのちもさらなるこころの深い領域に果敢に挑みました。
深層心理学では、意識の下の層には無意識という普段は気付いていない心の層があって、そこで進行しているプロセスが、実は私たちの日常生活に影響を与えていると考えます。
ユングは、フロイトの考えをさらに発展させ、個人的な無意識の層のさらに先に、人類が共通して持っている集合無意識を発見し、独自の『分析心理学(ユング心理学)』を切り拓いていった心理学・精神医学の20世紀の巨人です。
彼は、19世紀の終わりに生まれた近代の人間として、再現性、数値的データ、統計的比較といった客観的・科学的な研究手法を重要視しながらも、そうした科学的な研究手法だけではカバーできない精神の神秘的な側面も重要視するという優れたバランス感覚の持ち主でした。
そして人間の本質を観察し、真理を追い求めたレオナルド・ダ・ヴィンチのようなルネッサンス期の芸術家のように、ユングもまた科学や医学だけではなく、アートや神話、シンボル、宗教など多岐にわたる学問に通じていました。
彼自身も、絵を描き、建物を建て、自然に親しみ、多くの場所を旅行しました。
そんな彼の研究は、心理学・精神医学の専門領域だけではなく、文学、芸術、宗教学、神話学、民俗学、文化人類学などさまざまな分野の研究者に、いまでも大きな影響を与えています。
また、目に見えるもの、計測できるものしか扱わないという行動主義的、科学的唯物主義な現代心理学・精神医学において、より深く広い精神の領域を扱うユング心理学は、科学的・唯物的アプローチでは抜けて落ちてしまう人間の精神活動を理解するうえでとても重要なものです。
ユングの人生
ユングは19世紀の終わりに誕生し、20世紀後半1961年にこの世を去りました。1875年にスイスのコンスタンツ湖畔に牧師の子として生まれたユングですが、4歳の頃に両親とともに母親の故郷であるバーゼルに近いクラインヒューニンゲンに引っ越します。
牧師であった父とは何度も信仰について議論を交わしますが、それはユングに教会や信仰についての失望をもたらしました。当時の教会では、信仰は正しい作法にのっとって儀式を執り行うことに関心が向けられる形式的なものになっていて、父には神との直接的な体験がなかったのです。父の個人的な神についての体験を知りたかったユングは、失望します。
そんなユングは、牧師の職につくことなく、バーゼル大学に籍を置き、医学の道に進みました。1900年にチューリヒの精神病院での助手の職を得て、オイゲン・ブロイラーの弟子となりました。
そのブロイラーに、当時としては衝撃的な本であったフロイトの『夢の解釈』の批評を求められ、フロイトと自分の考えが多くの点において一致していることに気付きます。

出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジークムント・フロイト
フロイトもまた、ブロイラーとユングの業績を高く評価し、二人は互いの家を訪問し合い、親交を重ねます。この当時、ユングはフロイトをとても尊敬していて、ユングはフロイトのなかに実の父親の中には見出すことの出来なかった威厳のある父親像を見出すことになるのです。
そして、この「父」であるフロイトとその理論と対峙し、その権威を乗りこえていくことが、ユングにとって大きな精神的な試練となります。
フロイトは、人間のこころにある「無意識」を発見した偉大なる先駆者ですが、彼はその無意識を個人的なものに限定し、さまざまな性的な衝動やコンプレックスが無意識に隠されていて、そうしたものが私たちをコントロールしていると主張しました。精神的な病の多くは、そうした性衝動を無意識に抑え込んでいるために起こるのだと考えたのです。
一方、ユングは、そうしたものは、ほんの一部に過ぎないと考えました。個人的な無意識のさらに奥の層には、「集合無意識」という人類に共通した無意識の深い層があり、そこには民族の神話などに共通して現れてくる、人類が共有している普遍的なパターンがあることを見出し、「元型」と名付けました。
ユングは、「二ヶ月間、私はペンを手にすることができなかった。葛藤(かっとう)が生じ、苦痛に見舞われた。自分の考えを胸の内に秘めておくべきか、それとも、大事な友情を失う危険を犯すべきか。」と、迷いを吐露しています。
けれど、彼は自分の真実に目を背けることなく、その迷いを乗りこえます。
「結局、私は書き進めることに決めた。そして、実際、この著作はフロイトとの友情と引き換えとなった。」
こうして、ユングは自分に向き合い、自分の個人的なこころを入り口にした、全人類に通じる集合無意識と向き合うことになります。
スイスにあるユング研究所
現在、ユング派の分析家になるためのトレーニング機関は、世界各地にありますが、本家である「ユング研究所(C.G. Jung Institute)」はスイスのチューリヒ市にあります。
ユングとその共同研究者たちと共に1948年に設立されたユング研究所は、1979年にチューリヒ湖という湖に面したクスナハトという街に移転されます。このクスナハトは、チューリヒ市の郊外にある閑静な高級住宅があちこちに建ち並ぶ街で、日本で言ったら成城のような感じでしょうか。
上述のとおり、ユング研究所はクスナハトという高級住宅街にあるのですが、その中でも「ゴールドコースト」と呼ばれるとても美しい湖岸にあります。
研究所は、「研究所」というよりも「素敵な庭付きの一軒家」と言った方がしっくりくるような雰囲気があります。
というものも研究所として使われている建物は15世紀終わりに建てられ、もともとは住宅として使われていたものです。
1868年から72年までは詩人であるコンラッド・フェルディナンド・メイヤーが住んだ後は、歴史的保存の対象ともなっている由緒ある研究所の建物は、中の扉や、暖炉、壁などに歴史の重みを感じさせる格調高いものですが、オフィスや生徒用のキッチンなどは機能的にリフォームされていて、素晴らしいバランス感覚を感じます。
私が訪れたのは冬でしたので残念ながら花は咲いていませんでしたが、研究所の庭は、湖に面していて暖かい季節には花が咲き乱れているのが想像できる美しい庭でした。庭をぐるりと取り囲むように、ベンチが置いてあり、ハットをかぶり、パイプをくゆらしたダンディーな「生徒」さんが一人思索に耽る姿もあれば、4〜5人のグループが何か雑談しながらランチをする姿もみられました。きっと、ランチや講義のあいまには「生徒」たちは、この庭で思い思いの時間を過ごされるのでしょう。
また、この湖では泳ぐこともできるようで、夏にはここで水浴びをしたり、講義のあいまにひと泳ぎして楽しむこともあるようです。羨ましいです。