14歳で不登校に。30代女性が見つけた「私の現在地」

3月8日の「国際女性デー」にちなみ、Wellfy編集部では、自分らしい選択を重ねながら今を生きる女性に光を当てます。
14歳で将来を見失い、不登校を経験した山口恵理香さん。Webライターを経て起業家へと歩んだその道のりには、どのような葛藤や困難があったのでしょうか。再び立ち上がるまでの歩み、今思うことを伺いました。

この記事を書いた人

Wellfy編集部

泣いても、笑っても、迷っても。そのすべてがあなたの物語になるように。揺らぎを抱えるすべての女性に寄り添いたい。わたしらしい幸せのヒントが見つかるメディアwellfy編集部です。

目次

中学のとき、いじめで学校に行けなくなった

書くことを通して心を整える時間を提案する文具ブランドを展開する山口さん。起業家として、そして文筆家として活動しています。「書くことは生きること」――その信念は、中学時代にさかのぼります。

クラスの雰囲気になじめず、いじめを受け、学校に行けなくなってしまいました。家にこもる日々が続きます。

――当時のことを伺います。14歳の山口さんにとって、そのときの出来事はどう受け止めていましたか?

山口恵理香さん(以下、山口):学校に行くことは当たり前だと思っていました。14歳の子どもにとって、世界の常識が崩れるような感覚でした。不登校になった瞬間に外出することも、誰かと話すことも、日常の当たり前が自分の世界から消えていきました。

——当時はどのような思いで日々を過ごしていたのでしょうか?今だから振り返られる範囲で構いません。

山口:自分はまだ中学生なのに、これからどんな未来が待っているのか不安で仕方がなかったことは今でも覚えています。ただ、自分を責める気力もなく、落ち込んでいたと思います。

――ご家族は、どのように向き合ってくれたのでしょうか?

山口:最初は、いろいろと悩む私に両親は「気のせいだよ」と言い続けましたが、医師から適応障害と告げられたときに、そうではなかったんだと気づいたと思います。母には「病気になって、ごめんなさい」と謝りました。両親はずっと「ひとりじゃない」というメッセージを、言葉でも態度でも示してくれていました。そのことが生きる光になりましたね。

――気持ちを書き出すのを始めたのも、そのころだったのでしょうか?

山口:家にこもる生活が続くなか、フリースクールの存在を知ったんです。自分のペースで通えて学習や生活の支援を受けられる場所でした。父に話したのですが、反対されてしまって……。説得したくて『学校じゃない居場所がほしい』との気持ちをびっしりと綴ったノートを渡しました。

不登校の私を救った「あたたかい居場所」

——そのノートを読んで、お父さまは認めてくれたんですね。フリースクールはどんな場所でしたか?

山口:再開発前の渋谷に、私が通っていたフリースクールがありました。まだ東急東横線が終点の渋谷駅に向かって地下に入らずに地上のまま走っている時代です。古い小さなアパートの一室で、他の人からしてみると、ちょっとびっくりすると思います。

——今の渋谷からは想像がつかない景色ですね。

山口:でも不登校になった私にとっては、きれいに整備された学校よりもあたたかい居場所でした。園長先生は、不登校になった私と母に「もう頑張らなくていい、大丈夫だから」とおっしゃってくださいました。

――安心して再始動できた場所だったんですね。

山口:食べる、眠る、外に出かける、誰かと話す、そして、家族以外の人を少しでも信じてみようと努力してみる、そこからすべてが再始動でした。まだ14歳なのに「リスタートって、おかしいよね?」と自分に語りかけたこともありました。習慣として、悩みや思いを言葉にして書き出して、自分自身と向き合うようになっていましたね。

――高校や大学にはどのような形で進まれましたか?

山口:サポート校に通いました。今の通信制高校に近いと思います。私の場合は通学スタイルで高校の単位をとるような学校でした。大学は受験して合格し、進学しました。

「書くことは生きること」経験をいかして起業

——大学卒業後にフリーランスになろうとしたきっかけは何だったのでしょうか?

山口:いったん就職はしたのですが、心身が追いつかず、3か月ほどで退職しました。社会から離れ、家にいる私に母が「自宅でできる仕事を探してみたら?」と声をかけてくれたんです。そこで、フリーランスとして文章を書く仕事に挑戦しようと決め、ウェブライターとして活動を始めました。

――ライター業は、未経験からの挑戦だったんですね。

山口:自宅で単純なデータ入力の仕事から始め、そこで仕事相手との関係を築いて、少しずつライティングの仕事を得られるようになりました。やはり、書くことは楽しいですね。日頃感じたことや思いついたアイデアはノートに書きこんでいきました。

――「社会に戻る」ときの始めの一歩は、いきなり大きく動けなかったと思うのですが、どうハードルを下げたのでしょうか?

山口:「日常を自分のペースで積み重ねていくこと」です。誰かに相談するのが苦手な私は、気持ちを言葉にして書き出すという自分の世界の中で、日常のペースを見つけていくやり方が、合っていたのだと思います。


――その積み重ねの先にあったのが、起業になるのでしょうか。これまで日々の考えを書き綴ってきたノートを「おひとりさま会議用紙」など文具ブランドとして立ち上げ、起業家としても活動していますね。

山口:書くことは、生きることだと実感しています。2020年のコロナ禍に父を亡くして、悲しみに打ちひしがれていたときも、不安定な気持ちを受け止めてくれたのが、気持ちを書き出す習慣でした。今ようやく、乗り越えてきた時間にも意味があったと思えています。

あの頃の自分へ「全部、人生の種まきだよ」

——14歳のころの自分に、今ならどんな言葉をかけますか?

山口:「今、あなたが感じていることは、全部、人生の種まきだよ」と。数年後も数十年後も、もしかしたら、不登校以上に、もっとつらいことがあるかもしれないけれど、その感性をいかす世界が、待っているかもしれないよと過去の自分に伝えてあげたいです。

——「種まき」。いま苦しい読者にとって、未来を信じるための言葉になりそうです。心が揺らぎやすいアラサー世代に、「今日できる一つ」を挙げるなら何ですか?

山口:「今日を懸命に生きただけで、私は偉い!」と、寝る前に自分を精一杯ほめてあげてほしいです。一年単位で成長や後退を判断するのではなく、「昨日」と「今日」の単位で、自分自身を比較します。そこまでミニマムな単位で考えると、昨日の私よりも今日の私ができたことが一つはあると思います。

山口恵理香さん プロフィール

山口恵理香 文筆家・起業家/株式会社atelier ERICA 代表取締役
1990年東京都生まれ。中学で不登校に。フリースクール、大学を経て、経験ゼロからWebライターに。2019年『不登校だった私が売れっ子Webライターになれた仕事術』(自由国民社刊)出版。直後に父が病に伏せ、逝去。死別うつを乗り越える。2020年「書くことは、生きること」をコンセプトに「おひとりさま会議用紙」など文房具ブランド「Self0」を立ち上げ。2022年『あなたらしく生きるためのひとり会議ノート』(徳間書店刊)を出版。2023年には 株式会社atelier ERICAを設立し、起業家として本格的に活動する。2025年『書くだけで 心がととのう ひとり会議ワークブック』(ディスカヴァー・トゥエンティワン刊)を出版し、現在は7刷・3万部を突破。Wellfyにアラサー女性を応援するコラムを寄稿。

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