「スタバ好き」「無印信者」、ちょっとバカにしてない?偏見と憧れのあいだ

スターバックス、無印良品、Apple製品。

これらのブランドを愛用する女性たちは、なぜか「ミーハー女子」「意識高い系」といったレッテルを貼られがちです。

でも、ちょっと待ってください。そのレッテル、本当に正しいのでしょうか?

この記事を書いた人

今来今

編集者を経て現在フリーライター。複数メディアにて、執筆・連載中。視界が開けるような記事を発信していきたいです。

目次

なぜ「意識高い系」と言われるようになったのか

まず、この現象がなぜ生まれたのかを考えてみましょう。

スターバックスが日本に上陸したのは1996年。当時、300円のコーヒーは「高級品」でした。おしゃれなカフェで過ごす時間は、まさに「憧れのライフスタイル」の象徴だったのです。同時期、無印良品もシンプルで洗練されたデザインが「センスの良さ」を表現するアイテムとして注目を集めました。

これらのブランドが認知され始めた当初は、「自分らしさ」や「ライフスタイルへのこだわり」を表現する手段として選ばれることが多かったのです。

スタバや無印、アップル製品を愛用する人々は当初、意識が高いと言われていましたが、次第にそれが「演出」や「見せかけ」として受け取られるようになり、2010年代前半、SNSの普及とともに「意識高い系」という言葉が生まれ、やがて揶揄の対象になってしまったのです。

「ミーハー女子」というレッテルの背景

女性の消費行動に対する偏見は、複雑な問題を含んでいます。

「ミーハー」という言葉自体、実は女性の行動を批判する際に使われることが多いという点に注目してみましょう。男性が同じような行動をとっても、トレンドに敏感」「情報収集力が高い」といった肯定的な評価を受けるのに、女性の場合は「流行に踊らされている」「主体性がない」と見なされがちです。

スタバの新作を投稿する女性を「ミーハーと呼ぶ一方で、限定スニーカーを投稿する男性を「コレクターと呼ぶ。この違いは何なのでしょうか?

根底には「女性の趣味や消費は軽薄である」という偏見があることは、見逃されがちです。

また、「インスタ映え」という言葉も、女性の行動を軽視する文脈で使われることが多いですが、美しいものを美しく撮影し、それを共有することの何が悪いのでしょう? それは創造性の一つの形であるはずですが、「女性がしている」というそれだけの理由で、馬鹿にしてもいいものだとみなされがちなのです。

憧れることは理想に近づく第一歩

人は誰でも、憧れを抱いて生きています

あの人のようになりたい、あんな生活をしてみたい、そう思うことは人間の自然な感情です。そして、その憧れを具現化する一つの方法が、消費行動なのです。

スターバックスのカップを持つことで、海外ドラマの主人公のような気分を味わう。無印良品のアイテムで部屋を整えることで、丁寧な暮らしへの憧れを表現する。それは決して恥ずかしいことではありません。

むしろ、自分の理想に向かって歩む、前向きな行動と言えるのではないでしょうか。

憧れは、人を成長させる原動力でもあります。「あんな風になりたい」と思うからこそ、人は努力し、自分を磨こうとするのです。

スタバで勉強する女性は、もしかしたら「知的な女性」への憧れを抱いているかもしれません。無印良品で揃えた部屋で過ごす時間は、「シンプルで心地よい暮らし」への第一歩かもしれません。

選ばれ続けるのは理由がある

現代社会では、個人の選択の自由が尊重されます。誰が何を好きになっても、それは個人の自由です。

しかし、なぜか特定のブランドや商品を好む人々に対しては、「個性がない」「画一的だ」という批判が向けられます。これは矛盾していませんか? 

多くの人が同じものを選ぶのも、一つの選択の結果であり、そこには必ず理由があるのです。

スターバックスが愛される理由は、単に「おしゃれ」だからではありません。快適な空間、安定した品質、フレンドリーなサービス、そして「第三の場所(サードプレイス)」としての機能。これらの要素が多くの人に支持されているのです。

無印良品も同様です。シンプルなデザイン、機能性、適正な価格、そして「これでいい」という哲学。これらが多くの人の価値観と一致するからこそ、選ばれ続けているのです。

「なんとなく好き」でいい

そもそも、好きなものに明確な理由は必要でしょうか

「なぜスタバが好きなの?」「どうして無印ばかり買うの?」そう聞かれて、明確な答えを用意できない人もいるでしょう。

でも、それでいいのです。感情や好みは、必ずしも論理的に説明できるものではありません

音楽でも、料理でも、人でも、「理由はわからないけど好き」というものがあります。それは人間として自然な感情です。消費行動も同じで、「なんとなく好き」「なんとなく心地よい」という感覚で選ぶことがあってもいいのではないでしょうか。

スタバ好き批判の裏にある心理とは?

では、なぜ人は他人の選択を批判したがるのでしょうか?

一つは、自分の選択を正当化したいという心理があります。「私はスタバなんて行かない」と言うことで、自分の価値観の正しさを確認したいのかもしれません。また、「みんなと同じじゃつまらない」という個性への憧れも影響しているかもしれません。

しかし、最も大きな要因は、羨望の裏返しではないでしょうか。

スタバで優雅にコーヒーを飲む時間、無印良品で揃えた美しい部屋、最新のiPhoneでスマートに過ごす生活。それらに対する密かな憧れが、批判という形で表れているのかもしれません。

メディアが作り出したステレオタイプ

メディアの影響も無視できません。

意識高い系女子」「ミーハー女子」といったステレオタイプは、メディアによって作り出され、拡散された面があります。テレビ番組や雑誌、ウェブメディアが、わかりやすいキャラクター像を作り上げ、それが人々の認識に影響を与えています。

しかし、現実の人間はそれほど単純ではありません。

スタバが好きな人も、無印良品を愛用する人も、それぞれ複雑で多面的な個性を持っています。一つの消費行動だけで、その人の全てを判断することはできません

「個性」の本当の意味とは?

「個性的でありたい」という願望は、多くの人が抱いています。しかし、個性とは何でしょうか。

人と違うものを選ぶことが個性でしょうか。確かにそれも個性の一つの形です。しかし、自分の価値観に従って選択することも、立派な個性ではないでしょうか。たとえそれが多くの人と同じ選択であっても、自分なりの理由や感情があるなら、それは個性の表れです。

スタバで勉強する学生は、「集中できる環境」を求めているかもしれません。無印良品で部屋を整える人は、「シンプルな美しさ」に価値を見出しているかもしれません。

そこには、その人なりの価値観や美意識が反映されているのです。

消費は自己表現の手段の一つ

現代社会において、消費は自己表現の一つの手段になっています。

服装、食事、住まい、持ち物。これらすべてが、その人の価値観や個性を表現しています。スタバのカップを持つことも、無印良品のアイテムを使うことも、その人なりの自己表現なのです。

それを「ありきたり」「つまらない」と批判するのは、その人の自己表現を否定することになります。

多様性を尊重する社会において、適切な態度とは言えないでしょう。

女性の選択への偏見

特に女性の消費行動は、ミソジニー(女性蔑視)的視線でジャッジされがちです。

女性の趣味や関心事は、「女性の好み」というそれだけの理由で、「軽薄」「浅い」と見なされがちです。コスメ、ファッション、カフェ、雑貨。これらに関心を持つ女性は、「中身がない」と批判されることがあります。

しかし、これは明らかに不公平です。

美しいものを愛でること、心地よい空間を求めること、自分を大切にすること。これらは人間として自然な欲求であり、性別に関係なく尊重されるべきものでしょう。

自分の「好き」を大切に

最後に、一番大切なことをお伝えしたいと思います。

あなたの「好き」は、あなたのものです。

他人がどう思おうと、あなたがスタバのコーヒーを好きなら、それでいいのです。無印良品のアイテムに心地よさを感じるなら、それでいいのです。iPhoneが使いやすいと思うなら、それでいいのです。

「意識高い系」と言われても、「ミーハー」と言われても、それはあなたの価値を決めるものではありません。あなたの選択には、あなたなりの理由と感情があります。それを大切にしてください。

そして、他人の選択に対しても、批判ではなく理解を示しましょう

その人がなぜそれを選んだのか、その背景にはどんな想いがあるのか。そんな風に考えることで、世界はもっと豊かになるのではないでしょうか。

「スタバ好き」も「無印信者」も、それぞれの価値観と感性を持った、かけがえのない個人です。その選択を尊重し、多様性を受け入れることが、成熟した社会の在り方だと思います。

あなたの「好き」は、あなたの人生を豊かにしてくれます。誰に何を言われても、自分の感性を信じて自分らしい選択をしてください。

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